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「激動の若年時代とMIX波及」前田亜津佐/shopmaker Part1

日本でミックスゲームの第一人者と言っても過言ではないshopmakerさん。国内大型大会のミックスゲームトーナメントでは必ずと言っていいほど入賞しているshopmakerさんのあまり知られていない、ポーカーとの出会いやその後の普及活動、勝つ秘訣についてお聞きしました!ポーカーメディアPOKERPICKSがお届けします。

「激動の若かりし頃」


shopさんの若かりし頃のお話を教えてください

俺元々、ブラジルの帰国子女でさ、日本でも一人ぼっちだったわけ。帰国後に国際基督教大学附属高校に入ったんだけど、日本の常識がなかったから、なんで決まった時間に起きないといけないか、制服を着ないといけないかわからなかった。日本には親もいなかったから寮に入ったんだけど、先輩に敬語が使えなくてすぐ喧嘩しちゃってね。結局退学しちゃった。

その後、宇宙が好きだったからNASAに入りたいと思い、宇宙物理学科のある大学に進学したいなと思った。高校退学になったからまず大学検定試験を受けるために予備校に入った。けど高校退学者が集まるような予備校だったから不良が沢山いて、喧嘩になってしまったり。結局勉強もせずにフリーの雀荘に行ったりした。

麻雀は最初の頃は後ろで見てたくらいだったんだけど、覚えてやってみたんだよね。そしたら1年半くらいで300万円くらい借金ができてしまって。毎日のように負けて(笑) 借金取りに新宿2丁目に売られそうになって。俺の指は太くてね。オカマにモテるんだよ。

結局お金を稼がないといけなくなってしまったから次は雪山に行った。新しくスキー場がオープンして、そこのアルバイト。そこの下宿でも麻雀をしたな。今だから言えるけどそこではイカサマして周りの給料をかき集めて、3ヶ月くらいで結構金持ちになった。けど結局支配人と揉めてしまって、クビになった。下宿を追い出されたのに最後の給料を受け取るために、数日凍えながらスキー場で生活していたのを覚えている。 最後の気力を振り絞って給料もらいに行ったら、お前にやる金は無いって言われた。そこから何も覚えてないけど、気がついたら支配人室が半壊してて、事務員さんが部屋の隅で泣いてた。何故か支配人さんが給料より沢山お金くれたから無事に東京に帰ってこれたよ。

「ポーカーとの出会い」


shopさんのポーカーとの出会いを教えてください!

32歳の頃かな。テニアン島っていうグアムとサイパンの間の島にダイナスティホテルっていう中国系のホテルがあって、そこで初めてポーカーをした。

海外で最初にポーカーを知ったんですね!

そこのカジノでブラックジャックをするのが好きだったんだ。ある日カジノで遊んでいたら、みんなが手をパンパン叩いて「今からポーカーをしますよ」っていうわけ。見たら、何も書いていなくて、ただ楕円の緑色のテーブルがあるだけで、俺はどうやってするんだろうと。俺が知ってんのはブラックジャックだったり、バカラだったりさ、目の前にディーラーさんとやるゲームだった。そしたら、何人か座り始めて、今思えば1-2のしかもフィックスリミットだったね。

初めてのポーカーがフィックスリミットだったんですね!

初めてのテーブルに着席して、初手がAAだった。その時はわかってなかったから、なんかAが2個来たなと。これ、ブラックジャックだと12となる。そのぐらいにしか思ってなかった。とりあえず参加してみようかなと思ってコールした。

初めてのハンドがAAだったんですか!

それで6人で、確かファミリーポットでボードを見たの。そしたら、AXXって落ちて。勝ってるのか負けてんのかはよくわかんないしさ、そもそもみんな何してんのかよくわかんない。でもみんなにお兄さんコールすんのかって聞かれて、コールしますってコールしたの。ターンがAだったんだよね。今思えば、初めてもらったハンドはAAで、初めてできた役がフォーカードだった。

すごい!ポーカーをプレイする運命だったんじゃないですか!

ショーダウンになって。お兄さん何持ってるのって聞かれてショーしたら、時が止まったんだよ、ピタって。それまでみんな楽しそうにしてたのに、シーンってなった。あれ、俺まずいことしたのかなって思ったら、みんな急に立ったりしてすごい褒めてくれた。意味全くわかんない。

多分勝ったんだろうなと。その後ディーラーさんもチップくれって言うからあげるかなと思って、30ドルぐらいあげたらめっちゃ喜ばれた。それで残り全部集めたら、結局500ドルチップ1個分にしかならなかったの。それでポーカーは稼げないクソだ。10回ぐらいやってその時はつまらないと思ってもうやめた。時間の無駄だと思って。

それが初めてプレイしたポーカーだったんですね。そこからどうポーカーと繋がっていったんですか?

自分の会社で毎年社員旅行でセブに行ってたの。セブのウォーターフロントカジノっていうところでは、ポーカールームが昔あって、そこにキャッシュゲームがあったんだよね。

またフィックスリミットの少しずつ賭けていくやつかなと思って見てたら、オールインしてたんだよ。なるほど、これはもっと賭けれんだと。じゃあこれはやってみようと思って。結局、社員旅行中の2泊3日、ずっと寝ずにポーカールームで永遠にキャッシュしてたのが2回目。そこでハマったね。

ノーリミットホールデムをやってポーカーにハマったんですね!

それで日本に帰ってきたんだけど、日本でやれるとこは当時は少なくて、これはつまらないぞ、ポーカーしたいと。最初は、俺内装屋さんだし、自分でテーブルを作ろうと思って設計図を書いて発注したのね。それでポーカーとケーキとシャンパンのお店を作った。

ケーキとシャンパンですか…?

俺、甘党なの(笑)

ただ日本にも他にポーカーできるところがあった。昔のポーカーの小さいサイトがあって見たら、JUP(ジャパンユナイテッドポーカー)、後のChip&Chairなんだけど、そこを見つけたの。その前までは目黒のリオンっていうところに、ブラックジャックに毎日通ってたけど、その日からはJUPに2年間毎日のように通って。蒲田から目黒まで渡り歩いて毎日ポーカーした。

めちゃくちゃハマったんですね!

それで下手な人と上手い人がいるから、上手いところは真似して、下手な人のプレーとは反対のことを2年間真似していたら大体勝てるようになった。

本格的に始めて海外に行ったのがAPT。この頃、ちょうど私生活があまり良くなくてうつ病になった時なんだけど、うつ病の時って、1つの趣味に没頭するのがとても良いのよ。海外に行けば普段関係のある人も少ないし。他に余計な情報が入ってこないからポーカーに集中できたね。

東京ポーカーツアー(TPT)という今のJOPTみたいな感じの大会や当時は本当に日本のいろんなイベントに助けられたり遊ばせてもらった。俺、WSOPEカンヌで1番最初に成績を残してるんだと思うんだけど、それもTPTがくれたプライズで行ったんだ。

引用:AmebaBlog

「かっこよく勝って、かっこよく負けましょう。」


shopさんは中野にある中野P-laboというポーカールームのオーナーということでもよく知られていますが、成り立ちを教えてください。

中野は、俺がカンヌでちょっと儲かった2010年だったから、14年前か。当時俺はもう38歳ぐらいだったかな。俺が年取った時、 みんながポーカーが上手じゃないと日本がつまんないなと思ったんだよ。

なるほど!w そういう理由だったんですね!

俺が強くなるためには、周りが強くなってくれないと自分が強くなれないじゃんって思ったから、最初ポーカーを勉強する中野塾を立ち上げたわけだ。中野塾は3人が承認しないと入会できないので厳しいわけ。

そんなに厳しいんですか!それでも人は集まるんですか?

当時多い時はね、もう中はパンパンみたいな。国内でうまいと言われる人はみんないた。そして、とにかくゲームは自分だけが楽しむんじゃなくて「1番大事なのはマナーと勝ち方ですよ。かっこよく勝って、かっこよく負けましょう。」って伝えていた。相手を楽しませたらみんな自分も楽しくなるんだよっていうのをベースにやってたよ。

素敵な考え方ですね!

あの頃はね、みんな真剣だからさ、討論会したり喋ったりもしたの。だから当時の中野塾の人たち、今やっぱりちゃんと結果を残してる。

めちゃくちゃいい塾じゃないですか。

そこからしばらく時間が空いて、今から7~8年前ぐらいに日本でプライズマッチが主流の流れになってきたんだよ。ポーカー屋の店舗として借りていたところが家賃をずっと払っていただけだったから、なんかしようかなって思った。

仲の良いプレーヤーさんとか来て遊べばいいんじゃないかなと思ったんだよ。日替わりでディーラーの女の子に1人来てもらって。それでディーラーズデイリーポーカーツアー、略してDDPTにしたんだよね。

DDPTって最初はディーラーズデイリーポーカーツアーだったんですね!Dの意味はデザインだと聞いていました。

それはね、俺の会社が元々デザインだからだね。だから、デザインディレクターズポーカーツアーも兼ねている。

俺はあんまり意味を持たせたり固定するのが好きじゃなくて。だから店舗名である中野P-labo.第3会議室という名前も、ポーカーなのかな、プレイヤーなのかな、ピンクなのかなとかみんな思うでしょ?第3会議室にしとけば1も2もあるのかなって思うじゃん。

伏線張りすぎです、shopさん!

「ミックスゲームの時代」


結局中野P-labo、DDPTは作ったんだけど、テキサスで女の子がお給料もらって、1テーブル分人集めて、何人かにプライズ渡してって何にもならないよね。 ポーカールームの運営って大変なんだなと当時思ったの。その時に、じゃあどうしようかな、何しようかなって考えた時に、 そういえば日本ってオマハがないなと思ったんだよ。

そのころからもうオマハはプレイしてらっしゃったんですね。

俺、ちょいちょい海外で間違えてオマハのイベント出てるの。これまでに3回出た。3回出て、確か2回準優勝したよね。

間違えて出て入賞してるのはさすがですw

オマハに関しても面白い話があってね。タイとカンボジアの国境にあるカジノがあるんだよ。そこで遊んでた時に、オマハが最終イベントだったの。最後だったからみんな帰っちゃって不人気で、ディーラーもタバコ吸いながら私服でディーラーしてたんだよ。俺、ヘッズアップしててさ、ラストハンド、チョップだったのに、それに全員気づかずに負けたんだよね。その当時は自分もよくわかっていなくて。

負けちゃったねって笑って帰ってたら、その時一緒に行ったプレーヤーが「さっきのってもしかしてチョップじゃないですかね」って言い出して。考えたら、チョップだなってなって一生懸命戻ってみたんだけど、もう終わっちゃったからって言われて。これはもう俺がいけないししょうがねえなと思って。それが初めてのオマハの思い出。笑

面白いw 初めてのポーカーのインパクトいつも強いですねw

そんな思いでもありながら、日本でもオマハしたいけどないからじゃあ作ろうと思って、DDPTでまず週に3回オマハをスタートさせた。トーナメントを作ったんだけど、最初は声かけても3人とか4人とかしか来なかったな。 でもやったらやったでさ面白いってなってさ、また来てくれたりして。結果的に半年ぐらい経ったら、平日の夜にみんなで20人以上でオマハしてた。

PLOってやればやるほど楽しいし、揉めないし、嫌な気持ちがないんだよね。テキサスだとさ、なんでそんなのでコールしてるの?みたいなのがあるでしょ。真剣なブラフゲームだから、みんなシリアスで、だからこそ勝敗にこだわりが出て勝つことが全てになっちゃったりするでしょ。

確かにNLHはギスギスしたりもしますよね。

引用:GUTSHOT MAGAZIN

でもオマハというのは、結果的にどうなろうが、その時の判断が正しいかどうかが正義なんだよ。勝ち負けにあまりこだわらない。結果的にそっちが出たけど、フリップしたコインの表か裏が出ようがその程度の気持ちでしかないわけ。大事なのは、今どのくらいのエクイティを自分が持っていて、アクションの整合性がちゃんと取れたか。ゲームとして楽しいね。

確かにミックスの卓は和気あいあいとしてることが多いですよね!

だからみんな仲がいいし、普通に話もたくさんするし、いざこざがないっていうのがミックスコミュニティ。2年ぐらいお店でやっていたら、もっと広がってほしいし、いろんな店舗でやってほしいなって思い始めた。それで大きな大会でやらないとダメだなと思ってJOPTにかけあって始めたのが最初。最初のJOPTはPLOのみ。最初にPLOチャンピオンシップをやった時は、確か65エントリーぐらい入ったと思う。

そうやってJOPTにミックスが入っていったんですね。

元々小さなお店の運営スタイルに対して疑問を持ってたんだよ。人集まるからってチケットばっかり買って、それを元にサテライトして行くのが主流だったから、それだといずれ自分らで、ご飯を食べれなくなっちゃうんじゃないかなってもう10年ぐらい前から危惧してたんだよ。それでいろんなことをした方がいいよとか、 横繋がりの仕組みを作った方がいいっていう話をしてたんだけど。

俺はね、オリジナリティを持たせたい。ポーカー人口って、例えばオタク文化から入ってきた、メイドさんがいるから通う人もいれば、お酒飲めるから通ってる人もいる。もっとシンプルに、ただゲームとして楽しみにきた人とか、みんな意識が違うじゃん。店舗の種類によって、プレイヤー層がザルにかけられてくるんだよ。

確かに最近は方向性の違うお店が増えてきてますね!

店舗種別だけじゃなくて、トーナメントをやったりリングの店があったり、それこそサテライトもある。今でこそ「うちはミックスゲームたくさんやります」など付加要素として様々な選択肢が生まれてるよね。

新しく入ってくるポーカープレーヤーは、今まで7割ぐらいがいなくなってきたんだけど、これ逆転できるんじゃないかなって。3割いなくなるのは仕方がないけど、7割くらいは自分の性格とか思考に合ったお店とか内容を選べる。そういう時代が来たら、ポーカープレイヤーたちが増えていく。そういう世界を目指した方がいいなと思ったから、俺は日本の店舗の種類というよりは、店舗で運営する中身の種類を増やしてあげたいと思ってこういう活動をしてる。

2年でオマハが受け入れられて、後の2年で今度ドローとスタッドが広まってくれて、やっと今、 ミックスゲームの時代に入れたかなというところかな。これで日本、少なくとも関東はこのまま走らせとけば、いろんなお店が自然に取り入れてくれるから、分母がどんどん増えていって、俺も多分老後が幸せだ。

ご自身の目標とされているポーカーが楽しみ続けられる状況に近づいていますね!

今度はもっと選択肢、幅を広げようと思って、海外に目を向けている。 特に今はアジアに働きかけをしてるところ。この間WPTに入れてもらって、その前EAPCに共同開催させてもらったりしたよ。

Part2へ続く

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ポーカーピックスの編集部「ポーカーのすべてをあなたに」をコンセプトにポーカーのオリジナルコンテンツを執筆。現役プロプレイヤーやディーラーなど幅広い視点でポーカーの魅力を発信する。

Maeda Azusa

前田亜津佐

国内MIXゲームやPLOの普及の第一人者。商業施設デザイナーでありながら、アミューズメントカジノ中野/練馬P-laboの経営やPMJ/DDPT代表を務める

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